当社の歩み

豆一粒に込められた思いは、時代を超えて総合食品会社の礎に

私たちの原点は、明治初期にまでさかのぼります。
徳島で増田久吉が雑穀業を創業し、現在に至る歩みがはじまりました。

世相が大きく変動する中、徳島から神戸に移り、米や豆類を扱う会社を設立した増田菊太郎の信念は、多くの人々に食べ物を安定して供給すること。その信念は二度の大戦を越え、増田末一によって設立された「信成物産」へと引き継がれます。誰もが食べるために生き、新しい平和な未来を模索していた昭和34年のことです。

初代社長、増田末一の大きな夢は、「豆の輸入体制を確立し、社会に安定して品質の高い食品を供給すること」でした。その想いへ応えるように、当社は輸入体制を強化するとともに、生産部門としての事業所を全国に展開。そうして「信成物産」は、輸入から生産、販売までを幅広く手がける企業へと成長を遂げたのです。

いつの時代でも、人と人との関わりから生まれる「食」に、高い信頼性が求められることに変わりはありません。

創業以来変わらない「食」における高い信頼性と安全性を目指す信念は、総合食品会社として時代を超えて信成物産の根底に流れています。

昭和28年 増田商店前にて

昭和28年 増田商店前にて

沿革

明治初期増田 久吉が徳島にて雑穀業を創業
明治末期増田 菊太郎が神戸にて株式会社増田商店を設立
昭和34年1月増田 末一が株式会社増田商店から分離独立
総合食品会社として信成物産株式会社を神戸市鍛冶屋町に設立
昭和35年5月兵庫県伊丹市に大阪事業所開設
もやし製造事業開始
昭和40年7月東京事業所開設
昭和41年3月増田咲子が社長に就任
昭和51年1月神戸市中央区富士信ビルに本社移転
昭和62年12月神戸市兵庫区本町に本社新築移転
平成元年12月増田憲三が社長に就任
平成8年9月鹿児島菱刈に九州事業所開設
九州・沖縄地区向けにもやし製造販売
平成13年7月本社を信成三宮ビルに移転 中央区小野柄通
平成20年9月本社を信成兵庫ビルに移転
平成21年11月増田憲太郎が社長に就任